あがり症で困っている定年間近のオヤジ

小学生の頃から極度のあがり症でサラリーマン生活も終わりになろうかとしている50代後半になっても克服できていません。2年前に亡くなった父親からも会社に勤めていることが奇跡のように思っていたところがあります。
学生時代に黒板でよく答えを書かされることがありますが、はずかくて一度も前にでたことはなかったと思います。国語の時間も順番に句点まで教科書を読む授業がありましたが、前もって計算して何度も復唱して臨んでいました。クラブ活動も学生時代に一度も経験したことはなく、人と話すのが嫌なので理数系を選択したほどです。友達も一人もできませんでしたが、気が楽でしたのでなんとも思っていません。孤独で寂しくないかとよくいわれていましたが、一人でいる方が気が落ち着きます。

大学も理工学部を選び、自宅から通学できるところにしました。実験していればよいので人と話すこともないので向いていました。会社に入るための就職活動も面接のときにあがってしまうのですぐに黙り込んでしまうことで採用不可が続きました。
父親は営業で会社でも出世していたので息子の就職が気になっていたようですが、なるようにしかなりません。やっと就職できたのは中小企業でしたが、研究部門に配属されたので父親も安心したようです。

入社したその年に会社の業績が落ち込み、研究部門から製造部に移動させられました。ここでは職場の上司が現場の親方みたいで口が悪く、あがり症で不愛想な新人がきたことで機嫌が悪く今でいうパワハラのような扱いを受けていましたが、両親にいうこともできず我慢していました。

働きながら転職を決意して親にも黙って転職エージェンシーに登録しましたが、ここでも上がり症のためうまく意志疎通ができなくてお互いに喧嘩状態になり別の転職紹介所に変えました。ここでの担当者とは妙に気が合うことができ、面接から話し方まで指導をうけることができ、大手のメーカーに就職することができました。

その後も右往左往しながらお見合い紹介所を利用することで結婚までたどりつくことができています。今までの人生を振り返ると相性がよく、親しくなった人とはあがり症がでてこなくなり、知らない人たちにみられてたり囲まれていると途端に会話ができなくなるみたいです。会社でもメールや電話では問題あにのですが、朝のスピーチや会議の司会などはとてもできないので、逃げ回って今日まできています。家族もレストランで食事をたのむことや道をたずねることが苦手なことはわかってくれているので気が楽ですが、一人の時間を確保していないと調子が悪くなることは知らないようです。

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