海外で体験した思い出深い坐骨神経痛治療

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三十路近くになってから始めたテニスを15年間程続けていたのですが、仕事の関係で赤道直下の常夏の国へ転居することになり、炎天下ではテニスとも暫しの別れだなと思いながら渡航しました。海外生活開始の第一ステップはアパート探しです。現地の不動産屋さんに連れられて何か所かを見て回りましたが流石に常夏の国、みな共有施設として水泳プールがあるものばかりでした。そしてその中には何と、テニスコート付きのアパートもあったのです。となるともう他の物件には興味がなくなり、即そのテニスコート付きのアパートに決めてしまいました。

私がそのテニスコートで初めてプレイしたのは入居数週間後の日曜日でした。この炎天下ではテニスをやる人がいないであろうと諦めていただけに、同じアパートの住人の中に何名かのテニスファンがいたことはラッキーでした。日本で最後にプレイしてからは約2ヶ月、その間引越し前後の肉体労働?はあったものの運動らしい運動はしていませんでしたので、久しぶりのテニスでは水を得た魚のように張り切っていました。ところがその張り切りの笑顔は15分後に苦痛の顔に変わってしまったのです。それは突然の腰痛でした。所謂ギックリ腰か?と思いましたが、少し休むと何とか腰を伸ばすことが出来ました。しかしその後はお尻や足の外側辺りが痛み、痺れも感じたので、そこでテニスを止めることにしました。

翌日はタクシーで何とか会社に行き、日本語堪能な現地のスタッフにその話をしたところ、それなら良い所があると言って、或る中国式の小さな治療院に同行してくれたのです。するとそこの老医師?は背骨や骨盤などを触診した後で私をうつ伏せに寝かせ、お尻に拳を当ててグイグイ押し始めたのです。とても痛く、押されるたびに足全体に痺れを感じたのですが、それが10分間程続きました。すると何となく楽になった感じがしましたので、同行してくれたスタッフ経由で原因や状態の説明を聞くと「引越し荷物の整理で腰に負担がかかっていたところにテニスで腰を捻ったことが腰痛の原因、そしてそれによって軽い坐骨神経痛を起こしている」とのことでした。そしてその治療院に暫く通うことを指示されたのです。

そこへは週に2度ほど通いましたが、3週間後にはかなり良くなり、1ヶ月程で再びテニスを始めることが出来るようになりました。初めての坐骨神経痛、そして海外での治療、それも病院ではなく小さな中国式治療院での指圧、いや拳圧?何とも思い出深い体験でした。

参考にしたサイトはこちら

http://xn--ekrxsi2fztav28hz5c16h7viwp5e.com/

学生時代にいった免許合宿の体験談

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学生時代の休暇を利用して合宿免許へ行くことになった時の話です。

個人的には割と早い段階から予約を入れるようにしたつもりでしたが、当然自分以外の他にも学生は多数いますし、そうした自分と同じ学生も免許合宿の予約をとるという事から、既にどこの教習所も予約がいっぱいでかろうじて候補があるのは数か所だけでした。

その数か所はいずれも近くにレジャー施設といったものはなく、あまり目ぼしい所ではなかったのですが、とりあえずその中から一番近い所にある教習所を選ぶ事にしました。
予約が済んで早速新幹線で現地へ向かい、駅で教員と生徒共々集まってからバスで教習所へ向かいました。

教習所へ着くとそこで説明会が行われました。

その休憩時間内に生徒同士で打ち解けあっていましたが、自分はというとかなり内気な性格でその時は他の同期の教習生と何か話をするという事はありませんでした。
ただ自分以外にもその場で交流がない人もいたのですが、類は友を呼ぶというものでしょうか、後々そういった人達と打ち解けて共に行動をするようになりました。

人生経験が似ていたり価値観が共有できるためか、知り合ってからすぐに仲良くすることが出来ましたね。

内気な自分が知らない土地で普通なら絶対に会えないような他人と仲良く話が出来て盛り上がれるというのは、不思議な気分でした。

ホテルの周辺はこれといったレジャー施設などはありませんでしたが、そこで会ったグループと共に合宿生活に必要な買い物をしたり、ホテルで一緒にご飯を食べたり、誰かの部屋に集まって話をしたりするのは当時は新鮮で楽しい出来事でした。

免許の方は少し遅れてしまいましたが、一応休暇中に取得することが出来ました。

免許合宿は安い費用で短期間のうちに免許を取れるのが魅力的ですが、こうした人との出会いがあるというのも場合によってはプラスになるのと思います。

あがり症で困っている定年間近のオヤジ

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小学生の頃から極度のあがり症でサラリーマン生活も終わりになろうかとしている50代後半になっても克服できていません。2年前に亡くなった父親からも会社に勤めていることが奇跡のように思っていたところがあります。
学生時代に黒板でよく答えを書かされることがありますが、はずかくて一度も前にでたことはなかったと思います。国語の時間も順番に句点まで教科書を読む授業がありましたが、前もって計算して何度も復唱して臨んでいました。クラブ活動も学生時代に一度も経験したことはなく、人と話すのが嫌なので理数系を選択したほどです。友達も一人もできませんでしたが、気が楽でしたのでなんとも思っていません。孤独で寂しくないかとよくいわれていましたが、一人でいる方が気が落ち着きます。

大学も理工学部を選び、自宅から通学できるところにしました。実験していればよいので人と話すこともないので向いていました。会社に入るための就職活動も面接のときにあがってしまうのですぐに黙り込んでしまうことで採用不可が続きました。
父親は営業で会社でも出世していたので息子の就職が気になっていたようですが、なるようにしかなりません。やっと就職できたのは中小企業でしたが、研究部門に配属されたので父親も安心したようです。

入社したその年に会社の業績が落ち込み、研究部門から製造部に移動させられました。ここでは職場の上司が現場の親方みたいで口が悪く、あがり症で不愛想な新人がきたことで機嫌が悪く今でいうパワハラのような扱いを受けていましたが、両親にいうこともできず我慢していました。

働きながら転職を決意して親にも黙って転職エージェンシーに登録しましたが、ここでも上がり症のためうまく意志疎通ができなくてお互いに喧嘩状態になり別の転職紹介所に変えました。ここでの担当者とは妙に気が合うことができ、面接から話し方まで指導をうけることができ、大手のメーカーに就職することができました。

その後も右往左往しながらお見合い紹介所を利用することで結婚までたどりつくことができています。今までの人生を振り返ると相性がよく、親しくなった人とはあがり症がでてこなくなり、知らない人たちにみられてたり囲まれていると途端に会話ができなくなるみたいです。会社でもメールや電話では問題あにのですが、朝のスピーチや会議の司会などはとてもできないので、逃げ回って今日まできています。家族もレストランで食事をたのむことや道をたずねることが苦手なことはわかってくれているので気が楽ですが、一人の時間を確保していないと調子が悪くなることは知らないようです。